(1)1番札所 霊山寺
1番霊山寺へは、JR徳島駅から高徳線に乗り、坂東駅下車(所要時間約30分)。そこから徒歩10分です。
順打ち遍路の出発点だけあって、いつも多くの人で賑わっています。
本堂の天井から吊り下げられた数十もの灯篭の灯り、壮大な仁王門、歴史を感じさせる多宝塔、大師堂と手前の放生池。お遍路へ出発するにあたり、気が引き締まります。
本堂横の売店には遍路用品一式が揃っており、ここで大抵の物が調達できます。
(2)2番札所 極楽寺
2番極楽寺は、1番霊山寺から1.4km。平坦な道で、20~30分で到着します。
途中、右手に「ドイツ村公園」があります。ここは第1次世界大戦で日本軍が青島を占領した際に俘虜となったドイツ軍兵士を収容した坂東俘虜収容所の跡地で、日本で初めて「交響曲第9番 歓喜の歌」が演奏された場所でもあります。
目を惹く朱塗りの仁王門、迫力満点の金剛力士像。境内の長命杉(樹齢1200年余り)は空海手植えと伝えられています。
(3)3番札所 金泉寺
3番金泉寺は、2番極楽寺から2.6km。平坦な道で、30分余りで到着します。
境内には、自分の顔が映れば長寿であると伝えられる「黄金の井戸」、力試しに弁慶が持ち上げて見せたとされる「弁慶の力石」があります。
徳島入りしてすぐ(午後から)、お遍路をスタートした人は、近くに宿がある5番地蔵寺へ、(納経所が開いている)17時までに行くことが難しいため、この3番金泉寺までで1日目を終了することになります。
(4)4番札所 大日寺
4番大日寺は、3番金泉寺から5.0km。中間点辺りから緩やかな上り坂になり、それが山門までずっと続きます。途中で1回休憩を入れて、約1時間30分の行程です。
本堂と大師堂の間の回廊には、西国三十三ヶ所霊場の三十三体の観世音菩薩が安置されています(三十三観音)。
四国八十八ヶ所で「大日寺」は3つあります。最も多いのは「国分寺」で、各県に1つずつ(計4つ)あります。
(5)5番札所 地蔵寺
5番地蔵寺は、4番大日寺から2.0km。緩やかな下り坂で、30分もかかりません。
5番地蔵寺の0.2km手前に、奥の院の羅漢堂(五百羅漢=国の登録有形文化財)があります。回廊にほぼ等身大の五百羅漢が安置され、地元では「羅漢さん」の名で親しまれています。
5番地蔵寺の本堂・大師堂・不動堂は国の登録有形文化財。境内には、樹齢800年を超えるといわれる大銀杏があります。
(6)別格1番札所 大山寺
別格1番大山寺(標高450m)は、5番地蔵寺から6.5km(6番安楽寺まで6.8km)。急勾配の坂道を上るので、何度も休憩を入れて、約2時間30分の行程です。
八十八ヶ所巡りでは10番切幡寺が最初の山寺になりますが、別格20寺巡りも併せて回る場合は、この大山寺が最初の山寺になります。ようやく辿り着いた山門から、さらに260段の石段を上ります。
お参り後は、納経所で別格20寺巡り用の納経帳と納札をお求めください。
(7)6番札所 安楽寺
6番安楽寺は、5番地蔵寺から5.3km。ほとんど平坦な道で、約1時間30分の行程です。
朝、1番霊山寺をスタートした場合、5番地蔵寺から7番十楽寺の間で宿泊するのが一般的です。
この6番安楽寺には安土桃山時代以来、400年の歴史を持つ宿坊があります。温泉山の院号の通り、ここのお風呂は天然温泉の大浴場です。
宿坊ですが、風呂上りにはちゃんと冷たいビールを飲むことができます。
(8)7番札所 十楽寺
7番十楽寺は、6番安楽寺から1.2km。ほとんど平坦な道で、20分で到着します。
竜宮造りの山門をくぐると、すぐ正面に100体の水子地蔵があり、さらに中門の石段を上ると境内に着きます。
7番十楽寺には、6番安楽寺と同様、宿坊があります。ビジネスホテルといっても過言ではない立派な造りで、鉄筋コンクリートの真っ白な建物、赤い絨毯に白い壁、部屋はオートロックでツインルーム(ベッド)です。
(9)8番札所 熊谷寺
9番熊谷寺(標高120m)は、8番十楽寺から4.2km。緩やかな上り坂が続き、約1時間20分の行程です。
高さ13mの山門は四国霊場最大、高さ20mの多宝塔は四国最大最古のものです。寺の敷地も広く、本堂と大師堂は石段の上にあり、疲れた足には結構こたえます。
熊谷寺がある旧土成町はたらいうどんが名物で、国道318号線を中心に約10軒のたらいうどん店があります。
(10)9番札所 法輪寺
9番法輪寺は、8番熊谷寺から2.4km。緩やかな下り坂で、30~40分で到着します。
他の寺とは違って田んぼのド真ん中にポツンと建っており、着いたときは(本当にここか?)と疑っていました。仁王門の手前の石柱に法輪寺と彫られているのを見て、ようやく安心した次第です。
寺の周囲が開けているので、翌日に向かう12番焼山寺がどの方角(どの山)になるのか、地図と照らし合わせて確認してみましょう。
(11)10番札所 切幡寺
10番切幡寺(標高150m)は、9番法輪寺から3.8km。緩やかな上り坂が続き、最後はかなりの急坂になります。約1時間10分の行程です。
ようやく辿り着いた仁王門から少し行った所で、「是より三三三段」の石柱が現れます。車遍路の人も、ここからは333段の石段を自分の足で上らなければ本堂に行くことはできません。
汗ビッショリで本堂に着いた後、さらに110段の石段を上ると切幡寺大塔(重要文化財)があります。お遍路で最初に受ける山寺の洗礼です。
(12)11番札所 藤井寺
11番藤井寺は、10番切幡寺から9.3km。しかし、10番切幡寺からそのまま一気に歩いてくる訳ではありません。
12番焼山寺に向かう焼山寺道(お遍路中、最大の難所。約13kmの山道)は、11番藤井寺の本堂横から始まります。従って、12番焼山寺へ行く日は、朝一番に11番藤井寺をスタートすることが絶対条件になります。
そのため、10番切幡寺の後は、JR徳島線の鴨島駅近くか、11番藤井寺の近くに宿泊することになります。
(13)12番札所 焼山寺
12番焼山寺(標高700m)は、11番藤井寺から12.9km。2つの山を越え、3つ目の山の中腹が12番焼山寺です。
心臓破りの上り下りがずっと続く焼山寺道は、健脚の人で6時間、標準の人で7~8時間かかります。
四国八十八ヶ所巡りでは難所といわれる区間がいくつもありますが、中でも特に厳しい区間を「遍路ころがし」と呼んでいます。
お遍路中、「遍路ころがし」は10ヶ所ありますが、その1番目がこの焼山寺道です。
(14)別格2番札所 童学寺
別格2番童学寺へは、12番焼山寺から13番大日寺へ向かう途中で寄り道する形になります。13番大日寺の4.6km手前の行者野橋を渡り、北へ約3km行った所にあります。
弘法大師が同寺で幼少時代を過ごしたとされ、「いろは歌」四十七文字を創作して児童等に広く教えられたと伝えられています。
四国八十八ヶ所の札所はいつも大勢の参拝者で賑わっていますが、別格二十霊場で、しかも四国八十八ヶ所のルートから離れた場所にある寺はいつも閑散としています。
(15)13番札所 大日寺
12番焼山寺から13番大日寺へは、2つのコースがあります。鍋岩から玉ヶ峠を越えていくコース(20.8km。約6時間)と、鍋岩から南下して神山町役場の前を通っていくコース(25.9km。約7時間)です。前者は峠越えが厳しいので健脚の人向きで、ほとんどの人は後者を歩かれます。
前日、焼山寺道を歩いた疲れで、誰しも足が棒のようになっています。何度も休憩をしながら、フラフラになって13番大日寺に辿り着き、そのすぐ近くの旅館に宿泊します。
(16)14番札所 常楽寺
14番常楽寺は、13番大日寺から2.3km。平坦な道で、40分で到着します。
通常の山門ではなく、石柱門から石段を上っていきます。境内は荒々しい岩肌が剥き出しになっており、思わず息を呑みます。
13番大日寺から17番井戸寺までは、7.7kmの間に4つの札所が続きます。11番から13番までの行程で体力が限界近くまできている人も、17番井戸寺までは、最後の精神力で何とか歩いていきます。
(17)15番札所 国分寺
15番国分寺は、14番常楽寺から0.8km。10分もかかりません。
その歴史は古く、天平13年(741年)、聖武天皇が発した国分寺建立の詔により諸国に建てられた国分寺の一つです。
札所寺院では、単に「国分寺」と称するのが通例ですが、正確にいいますと、15番は阿波国分寺、29番は土佐国分寺、59番は伊予国分寺、80番は讃岐国分寺です。
15番国分寺の境内には、奈良時代に建てられた七重塔の巨大な礎石が残されています。
(18)16番札所 観音寺
16番観音寺は、15番国分寺から1.8km。これも平坦な道で、30分足らずで到着します。
15番国分寺を過ぎて少し行くと、次第に民家が多くなります。やがて、商店が立ち並ぶ路地に入った所で突然、観音寺の山門(鐘楼門)が目の前に現れます。
電信柱から伸びる電線が山門の屋根すれすれに通っており、異様な感じを受けます。
境内には、子供の夜鳴きにご利益があるとされる夜鳴き地蔵尊があります。
(19)17番札所 井戸寺
17番井戸寺は、16番観音寺から2.8km。40~50分で到着します。
仁王門には、四国一大きいとされる5.2mの巨大な草鞋が奉納されています。境内には、水をのぞいて姿が映れば無病息災であるが、映らない場合は3年以内に不幸があるという「面影の井戸」があります。
17番井戸寺を回り終えた後、50%以上の人が限界に達し、6.5km先のJR徳島駅から家路につかれます。本書をご覧になった人は、元気でお遍路を続けられることでしょう。
(20)18番札所 恩山寺
18番恩山寺は、17番井戸寺から16.8km。17番井戸寺の後は徳島市内で宿泊し、翌日が18番恩山寺~19番立江寺、翌々日が20番鶴林寺~22番平等寺という行程にするのが一般的です。
徳島市内から、18番恩山寺のある小松島市まで、交通量の多い国道55号線を歩きます。小松島警察署のすぐ先を右に入ると、やっと静かな道になります。徳島市内から2時間30分~3時間で、小高い丘に建つ18番恩山寺(標高78m)に到着します。
(21)19番札所 立江寺
19番立江寺は、18番恩山寺から4.0km。ほぼ平坦な道で、約1時間で到着します。
鐘楼形式の仁王門、本堂、多宝塔が美しく、心が洗われます。
19番立江寺の後は、20番鶴林寺(標高500m)への登り口である勝浦町まで、約10kmを歩きます。
翌日、穴禅定の修行と落差約60mの灌頂ヶ滝で有名な別格3番慈眼寺に行かれる場合は、往復約7時間かかりますので、勝浦町に連泊になります。
(22)別格3番札所 慈眼寺
別格3番慈眼寺は、19番立江寺から20.0km、20番鶴林寺まで10.0kmという場所にあります。
別格3番慈眼寺に行かれる場合は、勝浦町に連泊し、翌日を別格3番慈眼寺、翌々日を20番鶴林寺~22番平等寺という行程にされるとよいでしょう。
三渓から緩やかな上りがしばらく続き、坂本郵便局辺りから慈眼寺まで、急坂の遍路道が約3km続きます。ようやく大師堂に着いても、まだ終わりではありません。本堂はさらに1km上にあり、しかも、半端ではない急登です。
(23)20番札所 鶴林寺
20番鶴林寺は、19番立江寺から13.1km。実際には勝浦町の宿からのスタートになります。
この日は20番鶴林寺~22番平等寺を回るのですが、焼山寺道を歩いた日に続き、2回目の試練の日となります。
まず、宿から20番鶴林寺(標高500m)までの上り(3.1km)が遍路ころがしで、約2時間かかります。もちろん、全身汗ビッショリになります。
下りの2km余りも遍路ころがしの急坂です。転んだり、膝を痛める人が多いので、慎重に下山しましょう。
(24)21番札所 太龍寺
21番太龍寺(標高520m)は、20番鶴林寺から6.7km。約3時間の行程です。
20番鶴林寺から下山した後は、しばらく緩やかな道になりますが、2km余り先の若杉登山口から、また遍路ころがしの上り坂が始まります(遍路ころがしが3回続くことになります)。
21番太龍寺の大師堂横からは、1つ向こうの山の中腹に、3時間前にいた20番鶴林寺が見えます。自分が歩いてきた遍路ころがしの道のりを、目で見ることのできる珍しい場所です。
(25)22番札所 平等寺
22番平等寺は、21番太龍寺から11.0km。約4時間の行程です。
20番鶴林寺(標高500m)と21番太龍寺(標高520m)の2つの山を上り下りした後は、疲労が一気に出て、22番平等寺まではフラフラになって歩きます。
22番平等寺を回り終えると、すぐ近くの宿に宿泊します。どのお遍路さんも疲れていますが、難所を乗り切った達成感で、皆さんいい顔をされています。自分へのご褒美だと言って、ビールを何本も飲んでしまうのは、こういう日です。
(26)23番札所 薬王寺
22番平等寺から23番薬王寺ヘは、2つのコースがあります。阿南市小野から国道55号線を直進するコース(19.7km。約6時間30分)と、由岐を通るコース(22.4km。約7時間30分)です。
筆者は景色のよい後者を歩きました。由岐坂峠(標高120m)から初めて海(太平洋)が見えます。
23番薬王寺の目の前にある大浜海岸はウミガメの産卵地として有名です。23番薬王寺の1.4km手前にうみがめ博物館があります。
(27)別格4番札所 鯖大師
別格4番鯖大師は、23番薬王寺から19.7km。八十八ヶ所巡りのコース上にあり、約6時間の行程です。
牟岐町から浅川に至る「八坂八浜」は、約12kmの間に八つの坂と八つの浜があり、駄馬も通れない「親不知子不知(親知らず子知らず)」といわれ、波の荒いときは道を洗い、交通不便な難所でした。
同寺の宿坊に泊まるのもお薦めです。夜のお勤めでは護摩祈願(真言密教の秘法中の秘法)を間近に見ることができます。
(28)24番札所 最御崎寺
24番最御崎寺は、23番薬王寺から75.4km。2泊3日の行程で、荒々しい太平洋を左手に見ながらひたすら歩き続けます。険しい山道とはまた違った意味で、難所といえます。
24番最御崎寺の1km余り手前に、若き日の弘法大師(19歳)が難行苦行の果てに三教指帰の悟りを開いたとされる有名な修行の地─「御厨人窟(みくろど)」があります。居住していた洞窟内から外を見ると、「空」と「海」のみの風景だったことが、後に「空海」と名乗るきっかけになったそうです。
(29)25番札所 津照寺
25番津照寺は、24番最御崎寺から6.0km。2時間足らずで到着します。
標高165mの24番最御崎寺から九十九折の坂を下った後は、ずっと平坦な道が続きます。
山門から125段の石段(途中に鐘楼門)が続き、石段を上りきった所に本堂があります。
室戸の3寺を、地元では最御崎寺を東寺、津照寺を津寺、金剛頂寺を西寺と呼んでいます。室戸は昔から捕鯨の町。25番津照寺の手前の海の駅では鯨の竜田揚げ定食が味わえます。年配の方には懐かしい味です。
(30)26番札所 金剛頂寺
26番金剛頂寺(標高165m)は、25番津照寺から3.8km。26番金剛頂寺の後は奈半利町まで宿が無いため、25番津照寺から26番金剛頂寺の間で宿泊し、26番金剛頂寺へは朝一番に向かう(山道を上る)のが一般的です。
明治の初めまで、26番金剛頂寺は女人禁制でした。そのため、女性は金剛頂寺から南西に約2km離れた海岸沿いの不動岩(番外霊場)で納経を行なっていました。
(31)27番札所 神峯寺
27番神峯寺は、26番金剛頂寺から27.5km。26番金剛頂寺の後は、奈半利町か安田町に宿泊し、27番神峯寺へは朝一番に向かうのが一般的です。
27番神峯寺(標高430m)は、その険しさから「土佐の関所寺」といわれています。特に最後の2kmは真縦(まったて)と呼ばれる傾斜45°の急坂(遍路ころがし)で、全身汗ビッショリになって仁王門に辿り着きます。
しかし、それで終わりではありません。さらに約150段の石段が待っています。
(32)28番札所 大日寺
28番大日寺は、27番神峯寺から37.5km。一気に歩ける距離ではないので、27番神峯寺の後は、約13km先の安芸市に宿泊するのが一般的です。
途中、芸西村の琴ヶ浜から、左に3日前に歩いた室戸岬、正面にこれから向かう足摺岬が見えます。はるか彼方(直線距離で110km余り)の足摺岬は霞んでいますが、目を凝らせば微かに見えます。
標高73mの境内まで石段を上っていきますが、神峯寺のことを思うと大したことはありません。
(33)29番札所 国分寺
29番国分寺は、28番大日寺から9.2km。概ね平坦な道で、2時間30分で到着します。
本堂(国の重要文化財)へ続く杉木立の参道(石畳)が美しく、つい背筋が伸びます。
高知は野菜王国で、生産量全国1位はナス、ミョウガ、シシトウ、ショウガ。2位はオクラ、ゼンマイ、3位はピーマン・・・・と続きます。28番大日寺の香南市から30番善楽寺の高知市にかけて、ビニールハウス群がずらりと並び、その傍らをお遍路さんが歩いていきます。
(34)30番札所 善楽寺
30番善楽寺は、29番国分寺から6.9km。2時間足らずで到着します。
寺の手前が緩やかな坂ですが、大したことはありません。
ほとんどの参拝者は気づかれませんが、30番善楽寺の手水舎の下には2匹の天邪鬼がいて、両手で石の手水を支えています。
28番大日寺から30番善楽寺まで回った後は、高知市内に宿泊するのが一般的です。久しぶりに繁華街を楽しむのもよいでしょう。
(35)31番札所 竹林寺
31番竹林寺(標高120m)は、30番善楽寺から6.6km。高知市内の宿から歩いたとしても、2時間前後の行程です。
五台山(標高145m)の山頂付近に建つ31番竹林寺への上り坂(手前1kmの山道)は思った以上にきつく、32番禅師峰寺側に下りる石段もかなり急です。
よさこい節で、「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た」とありますが、このお坊さんは、江戸時代末期の31番竹林寺の僧・純信といわれています。
(36)32番札所 禅師峰寺
32番禅師峰寺は、31番竹林寺から5.7km。概ね平坦な道で、約1時間30分で到着します。
地元では峰寺(みねじ)と呼ばれ、道路標識に「峰寺」と表示されている所もあります。
土佐藩主山内一豊以来、歴代藩主の信仰を受け、参勤交代で浦戸湾を出航する際には航海の無事を祈願したと伝えられています。
32番禅師峰寺の後は、浦戸大橋を歩いて渡って浦戸に宿泊するか、種崎から梶ヶ浦まで渡船(無料)で渡って34番雪蹊寺の近くに宿泊するのが一般的です。
(37)33番札所 雪蹊寺
32番禅師峰寺から33番雪蹊寺ヘは、2つのコースがあります。途中、種崎から梶ヶ浦まで渡船で渡るコース(7.5km。約2時間20分)と、浦戸大橋を歩いて渡るコース(8.9km。約2時間40分)です。
34番種間寺の近くには宿が無いため、32番禅師峰寺の後は浦戸か、33番雪蹊寺の近くに宿泊するのが一般的です。
33番雪蹊寺の後は、34番種間寺、35番清瀧寺と回り、土佐市役所近くに宿泊することになります。
(38)34番札所 種間寺
34番種間寺は、33番雪蹊寺から6.3km。平坦な道で、2時間足らずで到着します。
34番種間寺(次の35番清瀧寺も同様)は安産祈願の寺で、子安観音堂の周りに底抜け柄杓が多数並んでいます。
妊婦が柄杓を持って詣ると、寺では底を抜いて2夜3日の安産祈願をし、お札を添えて妊婦に返します。妊婦はお札を床の間に飾り、無事安産すれば、柄杓を寺に奉納します。従って、寺にある底抜け柄杓は、安産のお礼として妊婦から奉納されているものです。
(39)35番札所 清瀧寺
35番清瀧寺は、34番種間寺から9.8km。最後の急坂で時間を取られるため、3時間余りの行程になります。
清瀧山(標高140m)の山頂近くにある35番清瀧寺(標高130m)へは九十九折の坂を上っていきます。坂の後半は「流汗(るかん)坂」と呼ばれる、真冬でも汗が噴き出る急坂です。境内からは、土佐市街と仁淀川が一望できます。
35番清瀧寺の後は、3km余り引き返し、土佐市役所の近くに宿泊することになります。
(40)36番札所 青龍寺
36番青龍寺は、35番清瀧寺から13.9km。実際には土佐市役所近くの宿から約11kmで、約3時間30分の行程です。
途中の塚地峠(標高190m)の上り下りもきついですが、本堂へ続く石段(170段)も、かなり急な傾斜で息が上がります。
同寺の近くにある明徳義塾高校へ、モンゴルから相撲留学に来た少年がいました。少年はよくこの石段で厳しいトレーニングをしたそうです。少年は寺の名前をもらって角界入りし、後の第68代横綱朝青龍になりました。
(41)別格5番札所 大善寺
別格5番大善寺は、36番青龍寺から約25km。八十八ヶ所巡りのコース上にあります。途中、2つのルートがありますが、何れの場合も36番青龍寺から約10km先の浦ノ内に宿泊してから、別格5番大善寺のある須崎市に向かいます。
別格5番大善寺が建つ場所は、昔は須崎湾に突き出た岬で、「土佐の親不知」と呼ばれた難所でした。
弘法大師が同寺で海難死亡者の菩提を弔ったと伝えられています。
(42)37番札所 岩本寺
37番岩本寺は、36番青龍寺から約58km。途中、浦ノ内と安和に宿泊し、3日目にようやく到着します。
その3日目に2つの難所があります。安和の宿からすぐ焼坂遍路道に入り、焼坂峠(標高228m)に上りますが、かなりの急勾配で、朝一番から汗ビッショリになります。
次のそえみみず遍路道はさらに厳しい坂道で、標高449mの峠までずっと急坂が続きます。
峠から下りて国道56号に合流した後は、37番岩本寺まで(10km余り)、ほぼ平坦な道です。
(43)38番札所 金剛福寺
38番金剛福寺は、37番岩本寺から80.7km。途中、黒潮町、下ノ加江(又は大岐)に宿泊し、3日目にようやく到着します。
38番金剛福寺手前の天狗の鼻から、足摺岬と足摺岬灯台が一望できます。素晴らしいビュースポットです。天狗の鼻から10分歩くと足摺岬展望台に到着します。視界270°で、彼方にのぞむ水平線がアーチ状に見え、地球が丸いことが実感できます。
四国の右上をスタートし、ついに左下まできました。お遍路の約半分が終了したことになります。
(44)39番札所 延光寺
38番金剛福寺から39番延光寺へは、2つのコースがあります。下ノ加江まで引き返して三原経由で宿毛へ行くコース(52.8km)と、足摺岬から半島の西側を通り、月山神社詣りを終えて宿毛へ行くコース(72.8km)です。
但し、前者を選んだ場合は、39番延光寺の後、約25km先の篠山神社(標高1,064m。かなりハードな山登り)に詣でてから40番観自在寺へ行かなければならないという昔からの不文律があります。 筆者は迷わず、後者のコースを選びました。
(45)40番札所 観自在寺
40番観自在寺は、39番延光寺から25.8km。実際には宿毛駅近くの宿から約19km(約7時間)の行程になります。
標高300mの松尾峠を越えていくのですが、この松尾峠は昭和4年に宿毛トンネルが開通するまでは土佐と伊予を結ぶ主要な街道として多くの人に利用されていました。
松尾峠の最高点から西へ0.2km行った所に純友城跡(展望台)があります。宿毛湾が一望できるビュースポットです。
(46)別格6番札所 龍光院
別格6番龍光院は、40番観自在寺から40.3km。八十八ヶ所巡りのコース上で、JR宇和島駅の0.3km手前にあります。
途中、津島町に宿泊し、そこから約15km、約4時間で到着します。
40番観自在寺から宇和島へは、柏坂遍路道(標高470m)、松尾峠遍路道(標高226m)と2日続けて峠越えがあります。
宇和島では是非、名物の「鯛めし」を食べてみてください。全国に鯛めしはありますが、生(刺身)の鯛を使った鯛めしは宇和島だけです。
(47)41番札所 龍光寺
41番龍光寺は、40番観自在寺から50.2km。途中、津島町、三間町(又は宇和島市内)に宿泊し、3日目に到着します。
41番龍光寺から43番明石寺まで回った後、明石寺の近くに宿泊するのが一般的です。
愛媛県の南予地域は山がちで、遍路道も急傾斜の坂道が多いのが特徴です。宿毛から松尾峠(標高300m)、柏坂遍路道(標高470m)、松尾峠遍路道(標高226m)と峠越えが続きました。この日は歯長峠(標高480m)を越えます。
(48)42番札所 仏木寺
42番仏木寺は、41番龍光寺から2.6km。概ね平坦な道で、40~50分で到着します。
42番仏木寺には、一般の寺と違うものが2つあります。
1つ目は大師堂で、前堂と後堂があり、前堂には白塗りの大師像、後堂には木肌の大師像が安置されています。
2つ目は鐘楼堂で、屋根が茅葺きです。八十八ヶ所中、茅葺き屋根の鐘楼堂はここだけです。
(49)43番札所 明石寺
43番明石寺は、42番仏木寺から10.6km。途中、歯長峠の上り下りに時間を要しますので、約4時間の行程になります。
42番仏木寺の1.5km先から歯長峠遍路道が始まります。特に前半の休憩所からの上りは鎖場があるほどの傾斜です。
標高480mの歯長峠を下って県道29号に出ると、概ね平坦な道になります。
43番明石寺から約1km先の松屋旅館さんは、日本一漬物が美味しい旅館として有名で、よくテレビでも紹介されます。
(50)別格7番札所 出石寺
別格7番出石寺(標高812m)へは、43番明石寺から44番大寶寺へ向かう途中で寄り道する形になります。43番明石寺から約20km先の伊予大洲駅近くに連泊し、翌日に別格7番出石寺(往復約24km。ハードな山登りで、7~8時間)、翌々日に内子町へ向かうという行程になります。
1300年近い歴史を持ち、弘法大師が冬期に雪中修行を行なったとの逸話が残っています。仁王門下の展望地からは、豊後水道が一望できます。
(51)別格8番札所 十夜ヶ橋
別格8番十夜ヶ橋は、伊予大洲駅近くの宿から3km余り。八十八ヶ所巡りのコース上で、約50分で到着します。
宿を断られた弘法大師が橋の下で長い夜をしのいだとの逸話が残り、橋の下で寝ている弘法大師を起こさないように「橋の上では杖をつかない」という風習は、ここでできたといわれています。
その十夜ヶ橋も、現在は高速道路(松山自動車道)の高架橋の下にあります。
(52)44番札所 大寶寺
43番明石寺から44番大寶寺へは、2つのコースがあります。内子町から久万高原へ鴇田峠(標高790m)を越えて行くコース(67.2km)と、農祖峠(標高651m)を越えて行くコース(69.1km)です。途中、大洲と小田に宿泊し、3日目にようやく久万高原に到着します。
大洲から久万高原までの40km余りはずっと上り坂が続き、峠越えもあって、歩き遍路にとっては厳しい難所の区間です。
44番大寶寺(標高560m)の境内は杉の巨木が林立し、幽寂な空気が漂っています。
(53)45番札所 岩屋寺
45番岩屋寺(標高670m)は、44番大寶寺から8.4km。山道の連続で、約4時間かかります。
44番大寶寺(標高560m)から峠御堂遍路道(最高点715m)を上り下りした後は、難所の八丁坂が待ち構えています。山の尾根まで0.6kmで160mを一気に上るのですが、直登といってもよいほどの急坂です。
この八丁坂越えルートが昔からの岩屋寺参拝の表参道です。車遍路の人は下から266段の石段を上ってきますが、歩き遍路の人は逆に、最後にこの石段を下りていきます。
(54)46番札所 浄瑠璃寺
46番浄瑠璃寺へは、45番岩屋寺の近くの宿から行く場合(29.5km)と、44番大寶寺まで戻ってその近くの宿から行く場合(20.6km)があります。後者の場合は連泊になるため、45番岩屋寺への険しい道のり(往復)を軽い荷物で歩けるという利点があります。
久万高原から三坂峠(標高710m)まで上り坂が続いた後は、約3kmで標高100mまで一気に下ります。かなりの急坂です。
三坂峠を下り始めてすぐの展望地からは、松山市街と瀬戸内海が一望できます。
(55)47番札所 八坂寺
47番八坂寺は、46番浄瑠璃寺から0.9km。緩やかな下り坂で、10~20分で到着します。
46番浄瑠璃寺から53番円明寺まで、松山には8つの札所があり、「松山市八ヶ寺」といわれています。地元ではこの8ヶ寺だけを回る人も多く、観光ルートにもなっています。
47番八坂寺の寺名は、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことが由来だそうです。閻魔堂があり、極楽の途、地獄の途に分かれ、それぞれの様子が描かれています。
(56)別格9番札所 文殊院
別格9番文殊院は、47番八坂寺から1.0km。四国遍路の元祖といわれる衛門三郎の邸宅があったと伝えられる地にあります。八十八ヶ所巡りのコース上で、47番八坂寺から約15分です。
衛門三郎宅の門前で托鉢をしようとした僧を8日続けて追い返して以来、三郎の8人の子供が毎年亡くなり、8年目には皆亡くなってしまう。その僧が弘法大師だったことを知った三郎は懺悔の気持ちから、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出ますが、二十回巡礼しても出会えず、最後に逆に回ったところ、やっと出会えたそうです。
(57)48番札所 西林寺
48番西林寺は、47番八坂寺から4.4km。緩やかな下り坂から、やがて平坦な道になり、1時間余りで到着します。
松山の市街地に近付くにつれ、車が多くなってきます。県道40号の久谷大橋を渡り、松山自動車道の高架をくぐると、前方に48番西林寺の仁王門が見えてきます。
朝、久万高原を出発して、46番浄瑠璃寺から順番に回ってきた場合、次の49番浄土寺の手前で宿泊するのが一般的です。
(58)49番札所 浄土寺
49番浄土寺は、48番西林寺から3.2km。実際には、寺の近くの宿から10分もたたないうちに到着します。
仁王門の金剛力士像が迫力満点で、つい見入ってしまいます。個人的には、八十八ヶ所でベスト3に入る像だと思っています。本堂は国の重要文化財です。
本堂左から裏山に入って行くと、山頂に地蔵堂(牛之峯地蔵堂)があり、その後ろにミニ八十八ヶ所があります。
(59)50番札所 繁多寺
50番繁多寺(標高80m)は、49番浄土寺から1.7km。緩やかな坂道を上っていき、約30分で到着します。
途中に何本も路地があり、道を間違えやすいので注意が必要です。道に迷ったときは地図を見るより、地元の人に聞くのが一番手っ取り早く、しかも確実です。
50番繁多寺は、松山市を見下ろす淡路山の中腹にあり、山門からの眺望が素晴らしく、標高132mの城山(勝山)の山頂に建つ松山城、その向こうには瀬戸内海が一望できます。
(60)51番札所 石手寺
51番石手寺は、50番繁多寺から2.8km。緩やかな下り坂から、やがて平坦な道になり、約40分で到着します。
仁王門は国宝。本堂、三重塔、護摩堂、鐘楼は国の重要文化財です。
51番石手寺の後は、道後温泉を通って松山市街地の北側を歩いていきます。久万高原までの長い上りや、44番大寶寺~45番岩屋寺の厳しい遍路道で疲労がたまっている人は、この日の午後を休養に充て、道後温泉で疲れを癒やすのもよいでしょう。
(61)52番札所 太山寺
51番石手寺から52番太山寺(標高75m)へは、5つのコースがあります。距離は10.5~11.8kmで、どれを選んでも、平坦な道から最後は上り坂になるのは同じで、3時間~3時間30分の行程になります。
嘉元3年(1305年)に建立された本堂は国宝、仁王門は国の重要文化財です。
この寺には一の門、二の門(仁王門)、三の門と、門が3つあります。一の門から本堂までは0.8kmもあります。
(62)53番札所 円明寺
53番円明寺は、52番太山寺から2.6km。緩やかな下り坂で、40~50分で到着します。
ここで「松山市八ヶ寺」が終了します。53番円明寺の後は、JR伊予和気駅か、JR堀江駅の近くに宿泊し、翌日は穏やかな瀬戸内海を左手に見ながら、海岸線を今治へ向かって歩いていきます。
高知を歩いていたときの、荒波が大きな音を立てて打ち寄せていた太平洋とは対照的な光景になります。
(63)54番札所 延命寺
54番延命寺は、53番円明寺から34.4km。途中、JR大西駅の近くで宿泊し、そこから約4km、1時間で到着します。
仁王門の次に中門がありますが、この門は総欅(けやき)造りで、もとは今治城の城門の一つであったそうです。
昨日は750年以上続く瓦の町─菊間町を歩きましたが、本日はタオルの町─今治を歩きます。市内には100社以上のタオル関連会社(製造販売)があります。「今治タオル」は、吸水性にすぐれた良質なタオルとして有名です。
(64)55番札所 南光坊
55番南光坊は、54番延命寺から3.4km。丘を2つ越え、JR今治駅を過ぎて0.5km先にあります。約1時間の行程です。
四天王が守護する大型の楼門に圧倒されて境内に入ります。
太平洋戦争時の空襲では境内の大部分の堂宇が焼失しましたが、大師堂と金比羅堂だけは戦禍を免れたそうです。境内に落とされた焼夷弾が堂の屋根を滑り落ち、堂内にいた避難者の全てが無事であったと伝えられています。
(65)56番札所 泰山寺
56番泰山寺は、55番南光坊から3.0km。概ね平坦な道で、約50分で到着します。
お城が好きな人は、55番南光坊の後、約1kmほど南にある今治城を見学されるとよいでしょう。今治城は築城の名手といわれた藤堂高虎によって築かれ、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ、船で直接、入ることができたそうです。
56番泰山寺は石垣に囲まれた高台にあり、周りは田んぼです。
(66)57番札所 栄福寺
57番栄福寺は、56番泰山寺から3.1km。途中、舗装道路から遍路道になり、山道を上った山腹(標高50m)にあります。50~60分の行程です。
途中、四国遍路無縁墓地の前を通ります。昔のお遍路さんは、寺や庄屋から「捨て往来の手形」をもらって巡礼の旅に出ました。この手形は、「万一途中で病死しても、その土地の習慣によって始末され、国許には通知不要」というものでした。
映画『僕は坊さん(主演=伊藤敦史)』は、57番栄福寺のご住職の実体験を基に製作されました。もちろん、ロケ地は57番栄福寺が中心です。
(67)58番札所 仙遊寺
58番仙遊寺(標高255m)は、57番栄福寺から2.4km。約50分の行程です。
最後はかなりの急坂で、境内に辿り着いたときは全身汗ビッショリになります。境内からは今治市内としまなみ海道が一望できます。
また、仙遊寺の宿坊に泊まるのもお勧めです。ここの精進料理は美味しいことで有名で、風呂は天然温泉です。部屋も旅館のようにキレイで、眺望も良く、個人的には四国でNo.1の宿坊だと思っています。
(68)59番札所 国分寺
59番国分寺は、58番仙遊寺から6.1km。58番仙遊寺を何時に出発するかによって、59番国分寺の約2km手前のJR伊予富田駅近くか、59番国分寺から約5km先の湯ノ浦近くに宿泊することになります。
59番国分寺の境内から南に、槍のようにそびえる石鎚山(1,982m。西日本最高峰で、日本七霊山、日本百名山の一つ)が見えます。
弘法大師(空海)の自伝─「三教指帰」には、24歳のとき、この石鎚山で修行をしたことが記載されています。
(69)別格10番札所 興隆寺
別格10番興隆寺(標高275m)へは、59番国分寺から60番横峰寺へ向かう途中で寄り道する形になります。
県道155号の丹原町高知から右折し、約4km先の山の中腹にあるのですが、最後の坂が急で、足がなかなか前に進みません。
「もみじの西山興隆寺」として有名で、周囲の山に溶け込んだ景色が素晴らしく、頑張って行っただけの満足感が味わえます。本堂は国の重要文化財です。
(70)別格11番札所 生木地蔵
別格11番生木地蔵は、別格10番興隆寺から東へ約4km。ずっと下り坂で、1時間もかかりません。
弘法大師が楠の大木に一夜で地蔵菩薩を刻んだと伝えられ、楠の霊木とお楠大明神があります。
別格10番興隆寺と別格11番生木地蔵を回った場合、八十八ヶ所巡りのルートより約6km余分に歩くことになります。
別格11番生木地蔵の後は、丹原町か小松町に宿泊します。
(71)60番札所 横峰寺
60番横峰寺(標高745m)は、59番国分寺から27.0km。実際には丹原町か小松町の宿から9~11km(5時間前後)の行程になります。
小松町石鎚の登山口(標高300m)から山道の遍路道に入り、急坂(1.6kmで445m上る)を上ります。この上りは、お遍路の中でも屈指の急坂で、もちろん、遍路ころがしです。
下りの約6kmも遍路ころがしの急坂です。転んだり、膝を痛める人が多いので、慎重に下山しましょう。下山後は、62番宝寿寺の近くに宿泊することになります。
(72)61番札所 香園寺
61番香園寺は、60番横峰寺から9.6km。遍路ころがしの急坂(標高差=727m)を下りてくるので、約3時間かかります。
途中、61番香園寺の2km手前で、奥の院─白瀧(滝行の行場があります)の前に出ます。険しい山道がやっと終わり、ここから舗装道路に変わります。
61番香園寺には、他の寺とは違って本堂と大師堂の建物がありません。鉄筋コンクリート製の大聖堂の2階の堂内で前仏と大師像を参拝するようになっています。
(73)62番札所 宝寿寺
62番宝寿寺は、61番香園寺から0.5km。5分余りで到着します。
四国八十八ヶ所霊場会の「四国八十八ヶ所札所一覧」のページには62番の部分だけ全て空欄で、「お寺さんの都合により掲載できません」とあります。何か、事情があるのでしょう。
また、四国八十八ヶ所の札所では、納経所が開くのは7時~17時なのですが、62番だけは8時からで、しかも12時~13時は昼休憩で納経所が閉まります。そのため、60番横峰寺の後は、62番まで回ってから宿泊します。
(74)63番札所 吉祥寺
63番吉祥寺は、62番宝寿寺から1.4km。JR伊予氷見駅のすぐ前にあり、30分足らずで到着します。
四脚門造りの山門の門柱に「四国唯一毘沙門天鎮座」とあり、八十八ヶ所で唯一、毘沙門天を本尊としている寺です。
境内には、金剛杖を持って本堂付近から目を閉じて石の場所まで行き、石の中心の開いている穴に金剛杖を通すことができれば願いが叶うとされる成就石があります。
(75)64番札所 前神寺
64番前神寺は、63番吉祥寺から3.2km。平坦な道で、1時間足らずで到着します。
64番前神寺は、西日本最高峰で山岳信仰の修験の山─石鎚山(標高1,982m)の東の遥拝所になります(西の遥拝所は60番横峰寺)。
前神寺の信徒は現在30万人を超すといわれ、毎年7月1日から7月10日の「お山開き」には全国から数万人の信者たちが集まり、法螺貝の音に合わせて仏の名を唱えながら石鎚山頂へ列をなして登ります。但し、7月1日だけは女人禁制です。
(76)別格12番札所 延命寺
別格12番延命寺は、64番前神寺から27.4km。実際には新居浜市内の宿から10km余り(約2時間30分)という行程になります。
空海手植え伝説の松(土居のいざり松)が有名で、明治時代には枝が傘状に東西30m、南北20mに広がっていたと伝えられています。
しかし、昭和43年(1968年)に枯死し、現在は幹だけが横たわり、往時を偲ばせています。
別格12番延命寺の後は、12km余り先のJR伊予三島駅の近くに宿泊します。
(77)65番札所 三角寺
65番三角寺は、64番前神寺から45.2km。途中、新居浜、伊予三島に宿泊し、3日目に到着します。
伊予三島駅近くの宿から約5km(2時間余り)、ずっと山道を上り続けます。途中の展望地からは四国中央市と瀬戸内海が一望できます。
やっと辿り着いた参道入口から、さらに仁王門まで73段の急な石段を上り、ようやく標高500mの境内に到着します。
65番三角寺の後は、境目峠(徳島との県境)を越え、池田町佐野に宿泊します。
(78)別格13番札所 仙龍寺
別格13番仙龍寺は、65番三角寺の奥の院で、65番三角寺から南へ約4km。標高780mの馬立を越えた後は急坂を下り、約2時間かかります。
舞台造りの巨大な本堂の中へ入り、2階へ上ってお参りします。
65番三角寺から、お遍路さんのほとんどは66番雲辺寺手前の池田町佐野を目指して歩いて行き、別格13番仙龍寺へ向かう人は滅多にいません。完全な一人旅になり、途中で人や車に出会うこともほとんどありません。
(79)別格14番札所 椿堂
別格14番椿堂(標高100m)は、65番三角寺(標高500m)から6.0km。蛇行した下り坂が続き、1時間30分で到着します。八十八ヶ所巡りのコース上にあるので、ほとんどのお遍路さんが立ち寄ります。
弘法大師が立てた杖から椿が芽を出し、やがて大木になったとの逸話が残っています。
筆者が行ったときには納経所で「歩き遍路の人にはお接待で、お金はいただきません」と言われました。お遍路中、こんなことを言われたのは、後にも先にもこの寺だけでした。
(80)別格15番札所 箸蔵寺
別格15番箸蔵寺(標高540m)は、池田町佐野の宿から約17km。約6時間かかります。
最後の2kmは急坂の山登りで、山門から本殿まで約600段の石段が続きます。但し、ロープウェイで上ることもできます。
本殿、護摩堂、方丈、薬師堂、鐘楼堂は国の重要文化財です。
別格15番箸蔵寺の後は、約10km引き返し、池田町白地に宿泊します。そこから66番雲辺寺(標高910m)までは、約10kmです。
(81)66番札所 雲辺寺
66番雲辺寺は、65番三角寺から18.1km。実際には池田町佐野の宿から5.0km(約3時間)です。
宿から1km先の登山口(標高270m)から、66番雲辺寺(標高910m)まで、約4kmで640mを上ります。最後の1.6kmの急坂は遍路ころがしです。
雲辺寺山の山頂(標高927m)にある毘沙門天展望台からは、観音寺市街と瀬戸内海が一望できます。名前の通り、雲の辺りから見下ろす景色です。
66番雲辺寺からの下りも急坂(4.3kmで約730m下る)で、ここも遍路ころがしです。
(82)別格16番札所 萩原寺
別格16番萩原寺は、66番雲辺寺(標高910m)から7.4km。雲辺寺から約1km下りた分岐点を左折し、6km余り下ると到着します。
但し、雲辺寺ロープウェイに乗って下りると、約7分で萩の名所─萩原寺の3km手前に着きます。雨の日やその翌日は、急坂の下りは足が滑りやすく、大変危険です。そんなときは、安全第一で、ロープウェイに乗って下りるのが賢明です。
別格16番萩原寺の周辺は、旧日本陸軍(第11連隊)の砲兵の演習場になっていて、終戦まで立入禁止でした。
(83)67番札所 大興寺
67番大興寺は、66番雲辺寺から9.4km。遍路ころがしの急坂を4km余り下った後は緩やかな下りになり、約3時間で到着します。
尚、66番雲辺寺(雲辺寺山の山頂近く)は徳島県と香川県の県境で、下りた所にある67番大興寺は香川県の最初の寺になります。
67番大興寺の仁王門に安置されている仁王像は運慶作です。
別格16番萩原寺の後は、約13km先のJR観音寺駅近くに宿泊します。
(84)68番札所 神恵院
68番神恵院は、67番大興寺から8.7km。実際にはJR観音寺駅近くの宿から1km余り、約30分で到着します。
68番神恵院から0.5km西にある琴弾公園に、有明浜の白砂に描かれた「寛永通宝」があります。東西122m、南北90m、周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾公園の山頂展望台から見ると、きれいな円形に見えます。
寛永10年(1633年)、藩主の生駒高俊公を歓迎するために一夜で作られたといわれており、他に類を見ないものといえます。
(85)69番札所 観音寺
69番観音寺は、68番神恵院と同じ敷地内にあり、仁王門と納経所は2寺共通です。
2つの寺が一度に回れるというのはラッキーだと、大抵の人は思います。それは寺も同じで、一度で2回分の納経代が入ることになります。割引はありません。因みに、2寺のご住職はお一人です。・・・ということは、他の札所より2倍の収入があることになりますね。
69番観音寺の後は、70番本山寺、71番弥谷寺を回り、弥谷寺の近くに宿泊します。
(86)70番札所 本山寺
70番本山寺は、69番観音寺から4.5km。概ね平坦な道で、1時間余りで到着します。
本堂は国宝、仁王門は国の重要文化財です。寺の1kmくらい手前から、風格ある五重塔が見えてきます。
中世には寺領2000石、24坊を持つ大寺であったと伝えられています。
70番本山寺を過ぎた辺りから、「高松○km」の道路標識が見られるようになります。最後のゴールが確実に近づいているのを感じながら歩きます。
(87)71番札所 弥谷寺
71番弥谷寺(標高220m)は、70番本山寺から11.3km。3時間30分の行程です。
昨日の66番雲辺寺の上り下りで疲労している足には、平坦な道でも苦行に感じます。弥谷山(標高382m)の中腹に建つ71番弥谷寺へ上がっていく坂道は辛いですが、さらに仁王門の手前にある俳句茶屋から一番奥の本堂まで540段の石段が続きます。
大師堂(380段目)までの上り送迎バスがあるほど、急な石段です。
(88)72番札所 曼荼羅寺
72番曼荼羅寺は、71番弥谷寺から3.7km。75番善通寺までは宿がないため、前日は71番弥谷寺の近くの宿に宿泊し、朝一番で72番曼荼羅寺へ向かうのが一般的です。山道の遍路道を上り下りし、約1時間で到着します。
弘法大師(空海)の出身氏族である佐伯氏の氏寺として推古天皇4年(596年)に創建され、当初は世坂寺と称していたそうです。
境内には、空海手植えの松─「不老松」がありましたが、2002年に枯死しました。
(89)73番札所 出釈迦寺
73番出釈迦寺は、72番曼荼羅寺から0.6km。約10分で到着します。
標高95mの山門から振り返ると、善通寺市街が一望できます。
境内の南側に奥の院遥拝所があり、我拝師山(標高481m)の中腹にある「捨身ヶ嶽禅定」(標高380m)が見えます。
映画『空海(主演=北大路欣也)』では、若き日の弘法大師(空海)がこの山の断崖から谷へ飛び降りるシーンが登場します。
(90)74番札所 甲山寺
74番甲山寺は、73番出釈迦寺から2.2km。平坦な道で、30~40分で到着します。
伝説では、壮年期の空海が寺を建立しようと幼い頃によく遊んだこの辺りを探索していると老翁が現れ、この地にお寺を建立すべしとお告げをした。この地の岩窟に住む毘沙門天の化身と悟った空海はこの岩窟に毘沙門天を祀った。─とあります。
伝説の通り、境内左奥に毘沙門堂があり、岩窟内に毘沙門天が祀られています。
(91)75番札所 善通寺
75番善通寺は、74番甲山寺から1.6km。平坦な道で、30分足らずで到着します。
75番善通寺は弘法大師が生まれた土地の上に建てられた寺で、父親の佐伯善通を開祖として創建されました。お遍路さん以外の参拝客も多く、四国で最も人が訪れる寺です。
広大な境内は東院と西院に分かれ、東院には国の重要文化財の金堂(本堂)と五重塔、西院には御影堂(大師堂)、ほかにもたくさんの由緒ある建物が立ち並んでいます。
(92)別格17番札所 神野寺
別格17番神野寺(標高150m)へは、75番善通寺から76番金倉寺へ向かう県道25号を逆方向(南)へ行きます。75番善通寺から12.5kmで、3時間30分の行程です。
途中、「こんぴらさん」と呼ばれて親しまれ、長く続く石段が有名な金刀比羅宮があります。
別格17番神野寺は、弘法大師が改修した満濃池(日本最大の灌漑用の溜池)を見下ろす神野山に建てられた寺です。映画『空海(主演=北大路欣也)』では、この満濃池の造成工事のシーンが登場します。
(93)76番札所 金倉寺
76番金倉寺は、75番善通寺から3.8km。平坦な道で、約1時間で到着します。
宝亀5年(774年)の創建とされ、当時の地名の金倉郷が寺名の由来だそうです。
76番金倉寺は、75番善通寺から別格17番神野寺へ向かう途中の分岐点で、別格18番海岸寺へ向かう出発点でもあります。
別格の寺に行かない人は、そのまま次の77番道隆寺(3.9km)に向かい、さらに3km余り先のJR丸亀駅の近くに宿泊します。
(94)別格18番札所 海岸寺
別格18番海岸寺は、76番金倉寺から6km余り(約1時間30分)。77番道隆寺までは約5kmです。
別格18番海岸寺は、弘法大師の母である玉依御前の出身地とされる寺です。
この寺の山門には、日本で唯一、仁王像の代わりに地元出身の力士(琴ヶ浜と大豪)の像が立っています。
JR予讃線の線路を隔てた奥の院の大塔からは、瀬戸内海に浮かぶ数々の小島がよく見えます。
(95)77番札所 道隆寺
77番道隆寺は、76番金倉寺から3.9km。平坦な道で、約1時間で到着します。
境内には、眼病にご利益があるとして信仰されている「潜徳院殿堂」(目なおし観音)があります。
この日は、72番曼荼羅寺から77番道隆寺まで、6つの寺を回ることになります。札所間の距離は短いですが、かなり疲れます。
77番道隆寺の後は、3km余り先のJR丸亀駅近くに宿泊します。
(96)78番札所 郷照寺
78番郷照寺は、77番道隆寺から7.2km。実際にはJR丸亀駅近くの宿から約4kmで、1時間で到着します。
お城が好きな人は、朝一番に、JR丸亀駅から0.7kmほど南にある丸亀城を見学されるとよいでしょう。総高60mの石垣は日本一高く、三の丸の石垣だけで一番高い部分は22mあります。
78番郷照寺は、JR宇多津駅から東に約1kmの小高い丘の上にあります。
(97)79番札所 天皇寺
79番天皇寺は、78番郷照寺から5.9km。概ね平坦な道で、約1時間30分で到着します。
79番天皇寺は、院号の高照院で呼ばれることもあります。境内は崇徳上皇を祀る白峰宮に隣接し、元は白峰宮の神宮寺でした。四脚の三輪鳥居は全国で3ヶ所しかありません。
途中、「八十蘇場の清水」の前を通ります。景行天皇の時代に南海で暴れていた悪魚を退治に向かった讃留霊皇子と80人の勇者が悪魚の毒に苦しんだ。しかし、この泉の水を飲ませると、たちまち蘇ったとの言い伝えがあります。
(98)80番札所 国分寺
80番国分寺は、79番天皇寺から6.6km。多少の上り下りがあり、約2時間で到着します。
本堂は国の重要文化財です。発掘調査で明らかになった奈良時代の寺域は南北240m、東西220mで、金堂、七重塔などの礎石が原位置に残っています。
80番国分寺の後は、81番白峯寺近くの宿まで急坂と木枠階段を上っていきます。途中、2kmで330m上る区間が心臓破りの坂で、ここがお遍路中、最後の遍路ころがしになります。
(99)81番札所 白峯寺
81番白峯寺(標高280m)は、80番国分寺から6.5km。実際には約1km手前の宿から20分で到着します。
途中、陸上自衛隊の演習場の上にある県道180号の展望地からは、西に坂出市街と瀬戸大橋が一望できます。
山門(七棟門)の周囲は杉の巨木が林立し、山寺の雰囲気が漂っています。
81番白峯寺と82番根香寺は、300~400m級の峰が連なる自然豊かな五色台にあります。
(100)82番札所 根香寺
82番根香寺(標高365m)は、81番白峯寺から5.0km。自然豊かな五色台の根香寺道を上り下りし、2時間足らずで到着します。
1000年以上そのままの形で残る道沿いには、道標や丁石が多く残っており、歴史的な景観をよくとどめています。
江戸時代の初め頃、この地には牛鬼がいて人や家畜に危害を加えていた。そこで弓の名手であった山田蔵人高清が3本の矢で牛鬼を退治し、切り取った角を根香寺に奉納したと伝えられています。山門の手前には牛鬼の像があります。
(101)別格19番札所 香西寺
別格19番香西寺は、82番根香寺から4.6km。1時間余りで到着します。
82番根香寺の山門前から遍路道を下っていきます。別格の寺へ行く山道は大抵荒れているのですが、ここの遍路道は一般の遊歩道と同じようにきれいに整備されています。
途中のみかん畑からは、女木島と屋島、その間の高松市街がよく見えます。
尚、83番一宮寺まで、82番根香寺から直接行くより、2kmほど遠回りになります。
(102)83番札所 一宮寺
83番一宮寺は、82番根香寺から11.5km。根香寺から山道を下った後は概ね平坦な道になり、約3時間で到着します。
筆者が行ったときは、途中で渡る橋が台風の被害で壊れていて、通行止めになっており、迂回して向かいました。
四国は台風の影響をまともに受ける土地で、お遍路のコースでも山道や河川で通行止めになることがよくあります。そんなハプニングも、後でよい思い出になります。
(103)84番札所 屋島寺
84番屋島寺(標高284m)は、83番一宮寺から13.6km。実際には琴平電鉄の屋島駅近くの宿から約3km、2時間で到着します。
屋島小学校を過ぎた辺りから上り坂が始まり、進む毎に傾斜がきつくなります。
本堂と梵鐘は国の重要文化財。狸夫婦の像がある蓑山大明神は全国的に有名です。
84番屋島寺の近くにある元ホテル甚五郎前からは、五剣山とその中腹にある85番八栗寺、その下に源平の合戦で那須与一が扇の的を射たと伝えられる海域が一望できます。
(104)85番札所 八栗寺
85番八栗寺(標高230m)は、84番屋島寺から5.4km。約2時間で到着します。
84番屋島寺から85番八栗寺へ向かう遍路道は急な下り坂です。足を滑らせないよう、慎重に下りてください。
下り終えると、しばらく平坦な道が続きますが、85番八栗寺の約1km手前(八栗登山口)からまた急坂が始まります。尚、八栗寺へはケーブルカーでも上れます。
85番八栗寺の後は、86番志度寺を回り、その近くに宿泊するのが一般的です。
(105)86番札所 志度寺
86番志度寺は、85番八栗寺から6.5km。八栗寺(標高230m)から2km余りで下山すると、平坦な道になり、約2時間で到着します。
86番志度寺の本堂と仁王門は国の重要文化財です。
86番志度寺の後は、いよいよお遍路のゴール地点─多和へ向かって歩いていきます。
(106)87番札所 長尾寺
87番長尾寺は、86番志度寺から7.0km。多少の上り下りはありますが、概ね平坦な道で、約2時間で到着します。
87番長尾寺の山門は、日本三大名門の1つとされ、三つ棟木という珍しい工法で作られています。
87番長尾寺の後は、八十八ヶ所最後の88番大窪寺か、別格20寺最後の20番大瀧寺へ向かいます。後者の場合は、長尾寺から20km先の塩江まで行って宿泊し、翌日が大瀧寺、翌々日が大窪寺という行程になります。
(107)別格20番札所 大瀧寺
別格20番大瀧寺(標高910m)は、87番長尾寺から30.8km。実際には塩江の宿から往復22km余り、約8時間の行程になります。
塩江から県道106号を上っていきます。最後の約6kmは九十九折の急坂です。
別格20番大瀧寺の境内にはプレオヤーズフラッグ(チベット仏教の旗)が翻り、独特な雰囲気が漂っています。
別格20寺を全て回り終えた記念として、この大瀧寺で「満願証」(2,000円)を発行していただけます。
(108)88番札所 大窪寺
87番長尾寺から88番大窪寺へは、2つのコースがあります。ダムのある前山を左折して女体山(標高774m)を越えていくコース(12.3km)と、前山を直進して額峠(標高364m)を越えていくコース(15.1km)です。
前者のコースですと、山門(仁王門)を通らずにいきなり本堂裏に出てしまいますし、時間的にも後者より多くかかります。尚、後者のコースが昔からの遍路道です。
八十八ヶ所を全て回り終えた記念として、この大窪寺で「結願証」(2,000円)を発行していただけます。本当に、お疲れ様でした。
※筆者の『札所一言メモ』は、順次、追加更新していきます。